スペシャルオリンピックス(SO)とは

知的障がいのある人たちに様々なスポーツトレーニングとその成果の発表の場である競技会を、年間を通じ提供している国際的なスポーツ組織です。SO では、これらのスポーツ活動に参加する知的障がいのある人たちをアスリートと呼んでいます。1962 年に故ケネディ大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバー夫人が、自宅の庭を開放して開いたデイ・キャンプがスペシャルオリンピックス(SO)の始まりです。知的障がいがあるために、まだ一度もプールで泳いだり、トラックを走ったり、バスケットボールをしたことがない人たちにスポーツを提供する、それが彼女の願いでした。
実は彼女の姉ローズマリーには、知的障がいがありました。1968 年にジョセフ・P・ケネディJr.財団の支援により組織化され、「スペシャルオリンピックス」となり、全米から世界へと拡がっています。また1988 年に、国際オリンピック委員会(IOC)と「オリンピック」の名称使用や相互の活動を認め合う議定書を交わしています。本部はアメリカ、ワシントンD.C.にあり、170 ヵ国以上で、約370万人のアスリートと85 万人以上のボランティアが活動に参加しています。現在、SO国際本部(SOI)の会長は、創設者ユニスの子息であるティモシー・シュライバーが務めています。スペシャルオリンピックスが提供する継続的なスポーツ活動は、アスリートたちの健康や体力増進、スキルの向上を促進するだけでなく、多くの人々との交流は彼らの社会性を育くんでいきます。また、適切な指導と励ましがあれば、アスリートたちは少しずつでも確実に上達し、自立への意識を高め成長していきます。参加するボランティアたちもアスリートから多くのことを学びます。スペシャルオリンピックスは大会名のみではありません。「スペシャルオリンピックス」の名称が複数形で表されているのは、この名称が大会名のみではなく、年間を通して様々なプログラムが継続的におこなわれていることを意味します。スペシャルオリンピックスは非営利活動ですから、運営はすべてボランティアと善意の寄付によっておこなわれています。アスリート、ファミリー、そしてボランティアが一緒になって参加し、活動を支えているのです。

日本では

1980 年に「日本スペシャルオリンピック委員会(JSOC)」が設立され活動を行っていましたが、1992 年に解散しました。そうした中、1991 年夏の世界大会に熊本から参加した10 才のアスリートと彼女を育てたボランティアコーチが、体操競技で銀メダルを獲得しました。ダウン症と難聴のあるアスリートの快挙は多くの人々の感動を呼び、熊本の地でボランティアの輪が広がり、1993 年3 月「スペシャルオリンピックス熊本」が発足、翌1994 年11 月に国内の本部組織である「スペシャルオリンピックス日本(SON)」が設立されました。現在は47 都道府県全てに活動が広がり、「北海道」「青森」「山形」「宮城」「福島」「栃木」「群馬」「埼玉」「千葉」「東京」「神奈川」「山梨」「静岡」「長野」「新潟」「富山」「石川」「岐阜」「愛知」「三重」「京都」「大阪」「兵庫」「奈良」「和歌山」「岡山」「広島」「山口」「徳島」「愛媛」「高知」「香川」「福岡」「佐賀」「長崎」「熊本」「大分」「宮崎」「鹿児島」「沖縄」の40 都道府県に地区組織が設立されたほか「秋田」「岩手」「茨城」「福井」「滋賀」「鳥取」「島根」でも設立準備が進んでおり、全国で7,334 人のアスリートと11,327 人以上のボランティアが参加しています。

スペシャルオリンピックス日本は2001 年5 月22 日、特定非営利活動法人(NPO法人)として内閣府より認証を受け、2006 年には国税局より認定NPO法人の認証を受けました。更に、2012 年3 月13 日に内閣府より、公益財団法人の認定を受け、2012 年4 月より正式に「公益財団法人スペシャルオリンピックス日本」としての活動を開始しました。

日常的なスポーツトレーニング・プログラム

スペシャルオリンピックスの最も大切な活動は、各地で行われる日常的なスポーツトレーニング・プログラムです。アスリートの住む地域の施設を会場に、同じ地域に住むボランティアが運営、コーチなどを務め、アスリートたちとスポーツを楽しむことがプログラムの基本方針です。このプログラムで、アスリートはチャレンジする勇気を身につけ達成する喜びを知ります。さらに、ボランティアと親しみ仲良くなることで彼らの世界は広がり、地域社会にふれあう機会を得ます。一方で、ボランティアもアスリートたちと接することにより、知的障がいに対する理解を深めながら人として大切な多くのことを学び、地域社会もアスリートたちを普通に当たり前に受け入れていくことになります。

今、この瞬間も世界のどこかでアスリートたちがプログラムに参加し、多くのボランティアがそれぞれのプログラムを支えています。

現在日本では、夏季競技として水泳競技、陸上競技、バドミントン、バスケットボール、ボッチャ、ボウリング、馬術、サッカー、ゴルフ、体操競技、ソフトボール、卓球、テニス、バレーボール、自転車競技、冬季競技としてアルペンスキー、クロスカントリースキー、スノーボード、スノーシューイング、ショートトラックスピードスケート、フィギュアスケート、フロアホッケーのスポーツトレーニング・プログラムが提供されています。各プログラムは、専門コーチばかりでなく、一般の市民ボランティアの参加を積極的に呼びかけています。またアスリートと知的障がいのないパートナーがチームやペアを組んで競技する「ユニファイドスポーツ®」にも取り組んでいます。

競技会は地区から世界まで

スペシャルオリンピックスの競技会は地区大会、ナショナルゲーム(全国大会)、世界大会等があります。
国内では、1995年熊本で初の夏季ナショナルゲームが開催され、翌1996年には宮城と福岡で初の冬季ナショナルゲームが開催されました。近年では、2012 年に福島で第5 回冬季ナショナルゲームが開催され、894人の選手団、約2,323 人のボランティアが参加しました。世界大会は、日頃のトレーニングの成果の発表としてだけでなく、異文化社会の体験と交流の場として、1968年の第1 回夏季大会を皮切りに、夏季冬季とも4 年毎に開催されています。スペシャルオリンピックス日本は1995 年7 月に開催された、第9 回夏季世界大会アメリカ・コネチカット州大会以来、毎回日本選手団を派遣しています。また、2005 年2 月には、アジアで初めてSO 冬季世界大会が長野で開催され、約2500 人の選手団、約11,000 人のボランティアが参加しました。

ディビジョニングとは

スペシャルオリンピックスでは、アスリートの可能性が最大限に発揮できるよう、競技会でディビジョニングをおこないます。ディビジョニングとは、年齢、性別、競技能力の到達度などに応じてクラス分けすることですが、ほぼ同じ競技能力レベルで競い合うことにより、アスリートにとって最も効果的な競技環境を提供することができ、アスリート個々人の成長を刺激することができると考えています。競技能力は、15%程度の範囲内で分けられます。

また、スペシャルオリンピックスの競技会で予選落ちはありません。予選はディビジョニングであり、競技会に出場したアスリートは全員が決勝に進み、全員が表彰台に立ち表彰を受けます。全てのアスリートに勝利のチャンスが与えられているのです。

スペシャルオリンピックスの競技会精神は

スペシャルオリンピックスの競技会精神は、以下の言葉に集約されています。

『スペシャルオリンピックスで大切なものは、 最も強い体や目を見張らせるような気力ではない。
それは各個人のあらゆるハンディに負けない精神である。
この精神なくしては勝利のメダルは意味を失う。
しかしその気持ちがあれば決して敗北はない。』

創設者 ユニス・ケネディ・シュライバー

トレーニング・フォー・ライフ

スペシャルオリンピックスでは、スポーツをすること自体がアスリートたちの最終目標であるとは考えていません。スポーツは、彼らの可能性を伸ばすために適した最良の方法の一つだと考えています。スペシャルオリンピックスの最大の目標は、アスリートたちのさまざまな能力を高めること、彼らに自信と勇気を持ってもらうこと、そして彼らの心と体を成長させることにあります。

トレーニングや競技の現場で身につけたことが、アスリートの人生において彼ら個人の向上や自立、社会参加につながることを目指し、そのための機会を途切れることなく提供していきたいと考えています。彼らがあらゆる意味で成長し、責任を持って仕事をこなし、リーダーになれることを示したいと願っています。